「退職していく社員が、顧客リストや設計データを持ち出していないか」——そう不安に思っても、専門の情報システム部門がない会社では、何をどう確認すればいいのか分からないまま退職日を迎えてしまいがちです。
本記事では、専門知識がなくても自社でできる退職時のPC確認の考え方と手順、そして「自力ではここまで」という限界の見極め方までを、実務の目線で整理します。読み終えたとき、自社で確認できる範囲と、専門的な手段が必要になる範囲の線引きができ、次の一歩を具体的に決められる状態を目指します。
<この記事は専門家が監修しています>
監修:渥美 雅之(弁護士 / 三浦法律事務所 パートナー)
元・公正取引委員会事務総局、米国連邦取引委員会(FTC)執務経験を有し、企業法務・独占禁止法・コンプライアンス領域に精通。日本経済新聞「企業法務弁護士ランキング」選出。
なぜ「退職のタイミング」が最も危ないのか
社内で起きる情報持ち出しは、在職中よりも退職が決まった前後に集中します。理由は単純で、退職者は「持ち出しても、もう関係がなくなる」と考えやすく、かつ、転職先や独立後の事業で使える情報の価値を最もよく理解している当事者だからです。
やっかいなのは、発覚までに時間がかかるという性質です。持ち出し自体は静かに行われ、問題が表面化するのは、退職者が転職先で同じ顧客に営業を始めたり、競合の受注が急に増えたりと、数か月から数年が経ってからであるケースが少なくありません。その頃には、持ち出しを示す痕跡はすでに消えているか、上書きされてしまっていることも多いのです。
会社が受ける実害は、顧客の流出や営業秘密の漏えいにとどまりません。持ち出された情報に個人情報が含まれていれば個人情報保護法上の問題に、営業秘密であれば不正競争防止法上の争点に発展し、損害賠償や取引先からの信用失墜に直結します。
この深刻さは、公的な調査にも表れています。IPA(情報処理推進機構)の「企業における営業秘密管理に関する実態調査2024」によると、過去5年以内に営業秘密の漏えい事例・事象を認識している企業の割合は35.5%。前回調査(2020年度)の5.2%から大きく増加しました。漏えいは、もはや「よそで起きていること」ではありません。
では、情報はどこから漏れているのか。同調査が示す漏えいルートは、次のような構成です(複数回答)。
| 漏えいルート | 2024年度 | 2020年度 |
|---|---|---|
| 外部からのサイバー攻撃等による侵入 | 36.6% | 8.0% |
| 現職従業員等のルール不徹底 | 32.6% | 19.5% |
| 現職従業員等による金銭目的等の動機 | 31.5% | 8.0% |
| 現職従業員等の誤操作・誤認等 | 25.4% | 21.2% |
| 外部者(退職者を除く)の立ち入り | 20.2% | 2.7% |
| 中途退職者(役員・正規社員) | 17.8% | 36.3% |
| 契約満了・中途退職した契約社員・派遣社員等 | 14.6% | 1.8% |
※IPAは、2020年度調査が郵送、2024年度調査がウェブアンケートであり、調査方法の違いが比率の増減に影響している可能性があると注記しています。
注目すべきは、中途退職者による漏えいの位置づけの変化です。2020年度調査では36.3%で漏えいルートの最多でしたが、2024年度は17.8%。順位としては下がりました。
ただし、これを「退職者リスクが小さくなった」と読むのは早計です。この間に外部からのサイバー攻撃が8.0%から36.6%へと急増しており、全体の構成が大きく変わった結果として相対的な順位が下がった、という側面があります。実数として、中途退職者に契約社員・派遣社員等の退職者を合わせれば、退職に関連する漏えいは依然として3割超を占めます。
つまり、退職に伴う情報流出は、かつてほど突出してはいないものの、主要な漏えいルートの一つであり続けているというのが実態です。IPAも、サイバー対策と内部不正防止の両面で取り組む必要があるとしています。
「疑う」のではなく「備える」という考え方
ここで多くの経営者・管理者がためらうのが、「社員を疑うようで気が引ける」という感情です。この気持ちは自然なものですが、確認の仕組みを「人を疑う行為」ととらえてしまうと、いつまでも対策が始まりません。
そこで、考え方を切り替えるのが有効です。退職時のPC確認を、鍵やIDカードの返却、アカウントの停止と同じ退職手続きの一部とすることです。全員に一律で適用する定型プロセスとして位置づければ、特定の個人を疑う話ではなくなります。
そもそも、確認の仕組みを持たないことは、真面目に働く大多数の社員を守れないことでもあります。万が一退職者による情報の持ち出しが起きてしまったとき、証拠がなければ、疑わしいというだけで無実の社員に嫌疑が向く事態すら起こり得ます。
「信頼していること」と「いざというときに確認できる備えを持つこと」は、決して矛盾しません。常時監視で全員を縛るのでも、性善説で何もしないのでもない、その中間の現実的な備えを持つ——これが出発点です。
退職者のPCから確認できる主な痕跡
「そもそもPCから何が分かるのか」を知っておくと、確認は実は容易にできる作業だと理解できます。代表的
1.外部ストレージの接続履歴
USBメモリや外付けHDDをいつ接続したか、どの機器を使ったかは、PC内に記録が残ります。退職直前や業務時間外に、見慣れない大容量ストレージが接続されていれば、持ち出しを疑う一次的なサインになります。
2.ファイルの操作・削除の痕跡
どのファイルにいつアクセスしたか、大量のファイルをまとめて削除していないか、といった操作の痕跡も手がかりになります。とくに、退職間際のファイルの一斉削除は、持ち出した痕跡を消そうとする隠蔽行動である可能性があり、注意が必要です。
3.Web上の行動履歴の確認
ブラウザの閲覧履歴、個人のクラウドストレージへのアクセス履歴などは、社外へ情報を出すルートの一次確認として有効です。クラウドストレージへのアクセスを確認することで、持ち出しの可能性を予見できます。
自社でどこまで確認できるか
専門ツールがなくても、Windowsの標準機能である程度は確認できます。まず「自分で見られる範囲」を押さえておきましょう。
たとえば、イベントビューアではログオン・ログオフや電源のオン/オフの記録を、「最近使ったファイル」では直近で開いたファイルの手がかりを、ブラウザの履歴ではWeb上の行動の一部を確認できます。USB接続の履歴も、システム内の記録から追える場合があります。
こうした標準機能でも、「怪しい動きがなかったか」をざっと見る一次確認は可能です。まずはここまで自分で確認してみることに、十分な意味があります。
ただし——ここからが本記事の最も重要なポイントです。この自力チェックには、越えられない限界が存在します。
自力チェックの「3つの限界」
Windowsの標準機能による確認・調査は、あくまで「入口」にすぎません。次の3点が、自力では越えられない壁になります。
限界1:削除済みのデータは、PCの標準機能では見えない
退職者が持ち出し後にファイルやメールを削除していた場合、ごみ箱を空にした後のデータは、Windowsの通常操作では確認できません。「見えているもの」しか追えないため、最も知りたい”消された痕跡”に、そもそも手が届かないのです。
限界2:「ただのコピー」は、証拠として使えない
仮に怪しい操作を見つけて画面を保存しても、それは証拠になりません。改ざんの有無を証明できないためです。裁判や社内の懲戒、行政の調査といった場面では、こうしたデータは証拠として無効と判断されるおそれがあります。
限界3:不用意な操作が、かえって痕跡を壊す
対象PCを普通に操作して調べること自体が、リスクになります。ファイルを開くだけでも最終アクセス日時などのメタデータが書き換わり、後から専門調査をしても「いつ・何が起きたか」を正確に復元できなくなる——つまり、良かれと思った確認が証拠を損なうのです。
この3つの限界は、言い換えれば「自力でやれるのは入口まで」ということです。本気で持ち出しの有無を確定し、証拠として残すには、別の手段が必要になります。
そして、この限界は多くの企業が直面しているものです。前出のIPA調査では、営業秘密への不正アクセス防止策について「特に何もしていない」と答えた割合は、従業員301人以上の製造業では9.7%であるのに対し、従業員300人以下の非製造業では42.0%にのぼりました。規模が小さい企業ほど、対策が手つかずのまま残されています。
さらに気になるのは、社内での認識のズレです。内部不正を誘発する環境について、サイバーセキュリティ部門では「当てはまるものはない」と答えた割合が7.6%だったのに対し、経営層では45.1%。IPAはこれを、経営者と部門担当者のリスク認識の相違として指摘しています。
対応が進まないのは、必ずしも問題意識がないからではありません。現場に確認する手段がなく、経営層にはリスクが見えていない——この二つが重なっています。だからこそ、「専門知識がなくても踏める手順」を用意しておくことに意味があります。
退職時PCチェックを「仕組み化」する
個別に慌てて対応するのではなく、退職フローにあらかじめ組み込んでおくのが理想です。退職の申し出があった時点で、PCの確認・保全を標準の手続きとして実施する——このルール化そのものが、「持ち出しても確認される」という抑止力として働きます。
ここで見落とされがちなのが、従業員との雇用契約だけでは不十分だという点です。前出のIPA調査では、競業避止義務契約を締結する企業は増加している一方で、対策状況そのものは大きく変わっておらず、IPAは「違反を見つけられないリスクが依然として残る」と指摘しています。
誓約書や競業避止義務契約は、「やってはいけない」と定めるものです。しかし、実際に持ち出しがあったとき、それを見つけて示す手段がなければ、契約は機能しません。契約と、事実を確認できる仕組み、この両方が揃って初めて、退職時の備えは成立します。
仕組み化にあたっては、就業規則やモニタリングに関する方針をあらかじめ整え、確認を行う可能性を社員に事前に周知しておくなど、適正な手続きを踏むことが大切です。「本人に知られないように」といった進め方は、労務上のトラブルにつながりかねません。実際の運用にあたっては、就業規則やモニタリングの適法性について、顧問の弁護士・社会保険労務士に確認することをおすすめします。
専門知識ゼロで、痕跡を保全・確認する方法
前述の「3つの限界」——削除データ、証拠能力、痕跡の破壊——を、専門部署なしで埋める現実的な選択肢が、簡易フォレンジックツールの活用です。
EASY Forensics は、USBを対象のPCに挿すだけで、改ざん防止のためのハッシュ値を記録しながらデータを保全し、確認できる痕跡を自動でレポート化します。専門知識がなくても、PCに詳しくなくても、自分で初動対応を行えるのが特徴です。
これにより、自社で「シロ・クロ」の一次判定が可能になります。問題がなければ社内で解決し、明らかに不正の疑いが強い、あるいは判断がつかない場合にのみ、専門業者による本格調査へ引き継ぐ——この流れなら、外部委託にありがちな高額な費用や数週間の待ち時間を抑えながら、証拠能力を保った状態で確認を進められます。
つまり、自力チェックが越えられなかった限界を埋め、「入口」から一歩先へ進むための手段が、こうしたツールなのです。
まとめ|退職時PCチェックのチェックリスト
退職者によるデータ持ち出しは、退職の前後という限られたタイミングに集中し、発覚が遅れやすいリスクです。だからこそ、事後に慌てるのではなく、退職手続きの一部としてあらかじめ確認を仕組み化しておくことが有効です。
最後に、退職時PCチェックの要点をチェックリストにまとめます。
- 就業規則・モニタリング方針を整え、適正な手続きのもとで行う(詳細は弁護士・社労士へ確認)
- 退職の申し出があった時点で、PC確認を退職手続きの一部として実施する
- 外部ストレージの接続、ファイルの一斉削除、クラウドストレージへのアクセス痕跡を確認する
- PCの標準機能でできるのは限界があることを理解しておく
- 対象PCをむやみに操作せず、痕跡を壊さないよう注意する
- 証拠として残す必要がある場合は、ハッシュ値付きの保全ができる手段を用いる
「疑う」のではなく「備える」。その一歩を、退職手続きの標準にしておくことが、会社と、真面目に働く社員の双方を守ることにつながります。
参考文献・出典
- IPA(独立行政法人情報処理推進機構)「企業における営業秘密管理に関する実態調査2024」報告書(2025年8月29日公開) https://www.ipa.go.jp/security/reports/economics/ts-kanri/tradesecret2024.html
- IPA「2023年度 内部不正防止対策・体制整備等に関する中小企業等の状況調査」報告書(2024年5月30日公開) https://www.ipa.go.jp/security/reports/economics/ts-kanri/20240530.html
この記事の監修者

渥美 雅之(Masayuki Atsumi):三浦法律事務所 パートナー弁護士(第二東京弁護士会所属)ニューヨーク州弁護士 / 英国弁護士
神戸大学法科大学院修了後、公正取引委員会事務総局に入局。司法修習を経て森・濱田松本法律事務所にて企業法務に従事。シカゴ大学ロースクール(LL.M.)修了後、米国法律事務所および米国連邦取引委員会(U.S. Federal Trade Commission)にて執務。株式会社LIXILコンプライアンス調査部長を経て、現職。 競争法(独占禁止法・景表法)、コーポレートガバナンス、危機管理・コンプライアンスを専門とし、上場企業の社外取締役・社外監査役も務める。日本経済新聞社「企業法務・弁護士調査」等、著名アワードにて高い評価を獲得。主要取扱分野:独占禁止法・景表法 / コーポレートガバナンス / 情報セキュリティ / 国際法務
